<ボランティア体験談>ボランティアとしての報酬は出会いです(東日本大震災災害救援)

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被災地の様子
被災地の様子

私たちの活動に初めて参加された方の感想をご紹介します。

当初、ボランティア経験があったものの、実際に被災がオンタイムで起きている、いわゆるレスキューで出向くのは初体験でした。

正直、衣食住が確保されている団体に入れば何のとまどいがでるのかが逆に疑問でした。

当団体は3月から早々と女川、石巻、気仙沼に拠点を張り、精力的に活動していて、非常に私には魅力的でした。

毎日のように繰り返す余震と酷化している現状。
に加えてさまざまなボランティアの活動。
大概は予想範疇でしたが、実際に足を踏み入れてメディアで伝わらないものを実感しました。

私が2週間活動した女川ベースには、ボランティアが寒期に使っていた大量の寝具、ストーブ、レトルトの食材。
光景から当時の厳しさを感じました。

実際に野外の活動場所に向かう際の車内においては道が凹凸だらけ。曲がり角は目印が無くすべて同じに見えました。
けれど、これも車が走れるまでにだいぶ回復したと聞き、感嘆しました。

それもそのはず。津波に飲み込まれた町は、人力では作り出せない光景を生み、CGの様でした。

2階建ての家屋屋根に停泊する漁船。映画のワンシーンのようです。
処理もできないくらいの災害であると再認識しました。

魚の腐乱した悪臭、無数のハエ。
廃虚のような鉄骨剥き出しの建物。何の施設であったか痕跡もありません。
瓦礫処理する人の足を突き刺すむき出しの釘。

復興への第一目標は更地にすること、でした。

取り壊すにも整理をしなければならないようで、中途半端に残った建物内の鉄くず、もしくは木材の分別。
床に広がる粉塵をかき集め土嚢袋へ。
この気が遠くなる作業を重機が入れない時期は人間の力で処理をし、の繰り返しの毎日。

それでも私たちは一緒に笑って、汗をかき、ご飯を食べ、仕事のできばえ を互いに称え合いながら炎天下での作業を楽しみました。この空間がとても愛おしく、貴重に感じました。

仲間の中には、とても謙虚なおじさんや母校が流されてしまった方、かなりの高学歴の方もいらして、最後まで自分の素性はひけらかさず、一緒に働いていました。
自分が生きてきた中で得たスキルを少しでも使えたら、改善につながると思って。と。
確実に復興への第一歩になっていました。

そういった方たちは決まって人徳があり、毎朝あちらから『今日も現場でよろしくね!』と声をかけてくれました。
正直、私なんかの顔を…と思いましたがちゃんと覚えてくださっていたんです。

作業は体力的なものだけではなく、写真修復、物資仕分け、小学校でのあじさい植え。
地元の方の庭の草刈や避難所での他愛ない会話でさえ助けにつながっていたんです。

写真修復においては、大量の海水や泥水から自衛隊さんが拾い集めてくれた何千、何万もの写真を真水で洗い、運がよければ持ち主の方にお返しする。
そういった、本当に心温まる作業でした。

持ち主がこの世に誕生して家族が喜んでいる写真。七五三、ひな祭り、修学旅行、成人式、同窓会、結婚式。
当たり前に自分も持っているこの記録写真。
お願いだから返してあげたい、生きていて!と切に思いました。

実際、写真は本人の姿形が残っていればいい方で、そういった物は全体の10%くらいだったと思います。
写真が見つかったと思っても、持ち主がご本人ではなく、他人の写真に自分が写りりこんでいるだけだったり。

とある方は旦那様の写っている写真を見つけ大喜びしていました。
しかし、旦那様は津波に飲み込まれ亡くなってしまっていたようでした。

物資仕分けの作業では膨大な支援物資が体育館で眠っている現状にもどかしさしか感じませんでした。

例えば、紙おむつひとつとっても、大人用、女性用、子供用に分かれ、そこからまたS,M,L,LLと枝分かれし、こんなに一生分ありそうな物資をなぜ早く被災者に渡さないのか、と疑問を覚えながら整理していました。

物資の段ボールは積み重ねられ続け、天井までつきそうでした。
ここに蓄えてあることを本当に必要な人は知っているの?
そして協力したくて日本全国から送ってくれた人が見たら悲しまないの?

最後まであそこにある物資を裁けない理由はわからず、少し自分で持ち帰り、生理用ナプキンを避難所のトイレに置いてみました。

ものの5分でした。見事に物は無くなり、やっぱりみんなは欲しいんだ!そして渡ってないんだ、と実感しました。これは現状です。
本当に解決したい問題です。

ただ権力ある人の許可が必要なんだ、と感じ、どうにか接触を試みるつもりです。

今、被災者は被災者という呼ばれ方から抜け出そうと日々努力しています。
もちろんまだ避難所生活を余儀なくされている方たちも大勢います。

ただ、仮設住宅に移り、もうご飯の支給は受けられなくとも自立しようと奮起している方もいます。
以前の自分たちの生活に少しでも近づくために。
もちろんボランティアへのニーズも水準が上がってきています。

瓦礫処理だった毎日から、仮設入居者の引越しの手伝い。

それに伴い、命さえあれば良かったとおっしゃった方が使い慣れた勝手のわかる家電や日用品の銘柄にこだわり始めています。

これは前進への弊害です。これからが一番の局面と思います。

私は最後まで支えたいし、あきらめません。
被災した人が、また女川に来てね、って言ってくださったので。

この2週間で現地の方、他のボランティア含め300人以上と接触したと思います。
なんて素晴らしい体験をさせてもらったのだろう、と寝る前毎日思います。

馴れ合いだけでなく真からのつながりです。

世界最大級のボランティアの報酬は出会い。

お金では得ることのできない体験を本当に心からありがとうございました。

あなたも私たちの活動に参加してみませんか?

アシストは非常に簡単に習得でき、被災者の方々に真の援助をもたらすことができます。

参加をご希望の方は、ボランティア募集ページからご応募ください。

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