私の参加動機は、石巻市出身の友人が両親を亡くしたことです。
義援金などで支援をしてきましたが、どこか対岸の火事のような自分の感覚が受け入れがたく、一度自分の目で確かめ、直接的な支援を行い体感し、この大震災を自分なりに落とし込みたいというものでした。
現地での活動内容は、主に仮設住宅でのアシスト。
二人で一軒一軒ノックして回りました。
怪訝そうに応対する方、体調が悪くアシストに興味を持たれ受け入れてくれる方、一度アシストを受けた経験があり効果を実感し楽しみに待っている方など様々でした。
アシストを受ける方には、“少しでも元気になってもらいたい”という思いを込め、「身体が温かくなった」「身体が軽くなった」「身体がリラックスした」「悪いものが出て行った感じ」など・・・好意的な感想をいただきました。
少しは役に立てたかと自分なりに達成感を感じることが出来ました。
アシスト後のリラックスした時間の中で、被災した体験談や現在の被災地の実情を生の声で聞き、胸に迫るものがあり、これを持ち帰って自分の周りに語り伝えないといけないと感じました。
ボランティア期間中に、女川町の被災現場を視察するチャンスをいただきました。
報道で見てきたどんな厳しい映像よりも、自分の目で見る被災地の現状は、説得力を持って私に多くのことを教えてくれました。
かろうじて駅だったとわかる女川駅のプラットホームに立って港を見た時、すべてを押し流していく津波が見えるような感覚に襲われ価値観が大きく変わりました。
自然の循環の中で人間のつくり出した物は永遠には残らない。
人も家も財産も目に見える物はすべて、この大自然の中で循環していくのだと。
価値をどこに置くのか?大切なものは何か?幼い我が子に何を残したいのか?
我が子には、家?財産?そんなものではなく、生きる力、価値観、心のあり方、スピリット、上手く表現できませんが、そのようなものを語り伝え、残してやりたいと強く感じました。
今回のボランティア参加で、自然の力の前での人間の無力さ、再び立ち上がる人間の生きる力の強さ、両方を学ばせていただきました。
現地で聞いた体験談の中に、「私にこんなに生への欲求があるとは思わなかった」というものがありました。
80歳前後の老夫婦から聞いた話です。
家は流され、間一髪で窓から逃げ出し、裏山の竹につかまり、押し寄せた水が首までつかり、お爺さんの顔は寒さで青黒くなってもうだめかもしれない。
そんな時に通りかかった若い方に救い上げられたそうです。
足の悪いお爺さんと裏山まで走った時、流されまいと竹を必死でつかんでいた時、通常では信じられない力が出たと言うのです。
青黒くなっていくお爺さんの顔を見ながらも、お婆さんは「私は生きたい」と強く感じていたそうです。
半年経った今、この話を「お爺さんは死んだと思った」とか「お爺さんは私が助けた」とか冗談を交えながら明るく語るお婆さんの笑顔に、人間の生きる力の強さを感じました。
またこのボランティア活動期間中に出会ったすべての方々に“一期一会”の心を込めて接し、多くの事を学ばせていただきました。
特に台湾から来ていたお二人には、“自らの善意を信じる力”“明るく笑顔で伝える力”を学びました。
私のボランティアの参加動機だった“大震災を自分の中に落とし込む”という目標は達成出来ました。
それ以上に私の人生に多くの示唆を与えてくれました。
今後の人生に活かし、私の“生きる力”とします。
出会ったすべての皆様のご健康とご多幸をお祈りし、お礼とさせていただきます。
本当にありがとうございました。
(2011年10月参加。ご参加ありがとうございました)